詩人はねむらない・三上その子の「し」的舞台評
2003年 9〜12月号
第一回
【 諸君!ひとつ対話をしようじゃないか 】
壱組印「小林秀雄先生来る」 ’03・9月号
目の前に「考える肉体」としてあらわれた小林秀雄は、まるで知恵という名の果物のようにみずみずしく魅力的だった。・・(略)・・飲み物や食べ物のようにリアルなその思想の甘露が、まさに「腑におちて」ゆくのがわかるのである。
第二回
【 おれは、それがみたいね。一寸でもいいからみたいね 】
Sky Fish「温室の前」 ’03・10月号
(俳優たちは)「ヒトという動物」の基本から、ていねいに役と向き合っていた。・・(略)・・うっかり人間になってしまった二本のユーカリの木のような、兄と妹の明るい悲しみとおかしみ。よく言われる岸田とチェホフ作品との類似を、改めて感じた。
第三回
【 ワレワレハ、ナニヲシテイルノデスカ? 】
維新派「nocturne―月下の歩行者」’03・11月号
からだ。この星に生まれ、自然のなかで、他人と寝食を共にしながら何かを作りだし、やがて死ぬ命の器。 ・・(略)・・維新派のノスタルジーの源は、命の光を求めてやまない一回性の「からだ」の切なさでもある。
第四回
【 キンチョーの夏、ニホンの夏 】
フィリップ・ドゥクフレ新作「イリス」’03・12月号
彼のリサーチワークショップが、詩のオープンマイクのような「ちょっと変な」初心な場所であっただろうことは、想像にかたくない。・・(略)・・一流の無邪気さ。芸術の罠をかいくぐる絶妙なウィット。・・(略)・・ほんとうにやんちゃなことは、真に知的でなければできないことだ。
2004年〜