詩人はねむらない・三上その子の「し」的舞台評
2005年 1〜12月号
第16回
【 聴ィー(コエル)。 聴ィー(コエル) 】
TAICHI-KIKAKU「喜びの島 〜NIPPON・能楽堂バージョン〜」’05・1月号
人と人、人と物とが伝え合う、目に見えない大切な、何か。・・(略)・・「喜びの島」を探すために放たれた、ノアの鳩の長い旅路・・(略)・・街角で、駅で、ひとりの部屋で、音はよみがえる。なんどでも。私の耳に。けしてとぎれることのない、呼びかけとして。
第17回
【 生きている証です 】
プラチナ・ペーパーズ「ラフカット 2004」’05・2月号
覚悟、皮肉、不安・・・どのカットも、原石を宝石へと磨き上げるためにある。そんなふうに、物語に新人のリアルを重ねて見るのも、この企画の楽しみかもしれない。私も誰かに応援されてここにあり、そして誰かを応援している。
第18回
【 世の中を変えたいと思っている人びとに 】
シルク・ドゥ・ソレイユ「KDDIアレグリア2 日本公演」’05・3月号
力を合わせてことを成し遂げる一体性(ワンネス)の中にこそ、真の生きる喜びが宿る。「友情がなかったら演目は成立しません」。そう言い切るアーティストの言葉は、私たちの未来への大切なインスピレーションである。
第19回
【 ねえ! いいもの作ってあげようか 】
SOMA「SOMA☆ at 風呂屋の2F☆2」’05・6月号
SOMAが役を愛していることが、空気で伝わってくる。・・(略)・・彼女の作品を見る喜びは、小説を読む楽しさと似ているかもしれない。・・(略)・・コピーにあるように「分身ひとり芝居」と言うひとつの演劇ジャンルとして、数えてみてもいいような気がする。
第20回
【 ひゅうーーー。ぱああん!】
東京ネジ「けんじのことはよく知らない」’05・7月号
さいごまで、声を生かした演出は、オノマトペを駆使したかの詩人へのオマージュか。パフォーマンスから生活、詩のことばまで、無理なくつないでしまう「東京ネジ」。この劇団にはまだ私の知らない顔が、たくさんありそうな予感がする。
第21回
【 背中とお尻の境目くん 】
タテヨコ企画「すくすく」’05・8月号
幼稚園という場に立たされたことで、俳優たちのからだは、無意識のうちにはっきりと、告白していた。「子ども」をめぐるあれこれは、とりわけ今の時代、すべての大人の中に結びついているテーマなのだ、と。
第22回
【 ハロルドが舞い降りた!】
東京オレンジ「インプロヴィゼーショナルシアタシリーズ#3・DEAD POETS SOCIETY」’05・10月号
演劇が、その強固な「見せる=魅せる」パワーゲームを放棄して、自らを世界に開こうとしている姿に立ち会えることは、それだけでもうれしいことだ。・・(略)・・日本の演劇界にインプロはどう根づき、どこまで進化を遂げるのか。
第23回
【 空には薔薇色の雲が輝き 】
美輪明宏「美輪明宏音楽界「愛」」’05・11月号
美輪は歌うことで、あらゆる魂の声に、その訴えに、耳を傾ける。聴きとられた情念は、はじめてその役目を終えて、世界を構成するエネルギーの粒へと還る。鎮魂の儀式のように。そもそも歌とは、こうしたものではなかったか。芸能が儀式でもあった昔には。
第24回
【 変化の風、または、宇宙と同等の生・・・ 】
Bishkek City Drama Theatre「OMUR-LIFE」’05・12月号
日本人が、その幼い体つきの重心を落とすことで静の成熟を達成したように、キルギス人の多くは、天地の律動に身をゆだねることで、自由に体を使いきる動の成熟を獲得したのではないか。それは、日本人のもう一つの在りえた姿だ。
2006年〜(工事中です)